時をかける少女 感想3回目

以下ネタばれ有り。
まだ見てない人は絶対見ちゃダメ。何も予備知識なしに劇場に行くべし!
私の周辺の方々が無事にこの作品を見終えたとのことなのでネタばれありの感想をちょっと。


うーん、手放しで大絶賛できる作品だったと思う。


確かにSFものとしては設定としておかしいところもあるのかもしれない。
でも僕はそういうことは少しも気にならなかった。むしろ細かいところには眼をつぶり、メッセージ性を優先させてストーリをくみ上げた細田守と奥寺佐渡子には拍手をおくりたい。


この作品において最もさ評価されるべきなのはそのシナリオ。
時をかける少女」というのは時代を問わず、超巨大なテーマを正面から捕らえなくてはならなくなる。
超巨大なテーマを素材の美味しいところを見つけ出し、うまく切り出し、うまく料理し、1時間半というお皿に載せなくてはならいのだ。前作の映画実写版でもそうであるが、このアニメ版に関してもそれが奇跡のようにうまくいっている。見ていて感じるのは「息つく暇が無い」ということ。これはアニメ映画では「ラピュタ」や「魔女の宅急便」、ハリウッド映画なら「E.T.」「ダイハード」といったものと同じで、物語の起承転結が実にうまく仕組まれていてお話として全く無駄がないということに起因している。それは本当に映画をたくさん見ている、さらに才能のある人にしか出来ない熟練の技術だ。以下のテキストにハリウッド映画の黄金パターン、時間と物語のプロットについて詳しく考察されているので興味のある方は参照されたし。



オタク学入門 (新潮OH!文庫)

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さらに、僕がこの作品を高く評価しているのはそういった映画の黄金パターンすなわち「理論」だけにとらわていない点だ。
人は何に感動するだろうか?確かに、そのようなとても美しい理論を目の当たりにしたときにも感動するかもしれない。
でもやっぱり、人を感動させるのは「誰かが一生懸命がんばっている姿」だ。
その姿はけして美しいものじゃないかもしれない。でも、そこには理屈を抜きにして感動できる何かが潜んでいる。だから、みんなオリンピックを見て感動する。ドキュメントを見て感動する。


この作品の主人公、真琴がもしも非常に頭のいい少女だったとしたらデスノートのような作品になっていたかもしれない。でも実際には真琴はゲンダイに本当にこんな娘がいるのだろうか、と疑いたくなるくらいバカで単純だ。プリンひとつで大騒ぎ。友達の恋愛を成就させようと奔走するも全然うまくいかない・・・でも、単純がゆえに自分の気持ちをストレートに出す。がんばるときはがんばる。間違ったらやり直す。本当に一生懸命な奴なのだ。
そういう主人公だからこそ視聴者は応援したくなるし感情移入できる。そして感動できる。
こんなにアニメで誰かががんばっているのを見たのはクレヨンしんちゃんの大人帝国の逆襲以来かもしれない。
やはり、人の気持ちを動かすのは人の気持ちだった。


今回はシナリオに限って感想を述べたが他の音楽、背景、作画の繰り返し、予算など、本当に奇跡のようにうまく出来た作品だ。
そしてこれらの要素がすべて「時をかける少女」というベクトルに集約している。
芸術は限られた場所に生まれるものだが、その点でもこの作品は間違いなく芸術と言えるだろう。



もう、夏も終わり。
この夏はこの作品のおかげで本当に元気に、その一瞬一瞬を大事に一生懸命に生活できた気がする。


この作品に携わった全ての人にありがとうと言いたい。<参考> 時をかける少女 セミナーレポート
http://d.hatena.ne.jp/AKIYOSHI/20060908#p1